10月1日(金) 衣替え

管理人さんの花

 からりとした秋晴れ。
 さすがにこんな時季までタオルケットで寝ていたせいか、少々風邪気味のようで頭痛が。なので副業はお休みして休養。
 お昼を過ぎたら復活するあたりが素晴らしい。
 これからは少し暖かくする事を考えなくてはね、とアイロンをかけながら夏物をしまい、秋物を出した。
 四人囃子の「ゴールデン・ビクニックス」を何度も繰り返しかけながら、鼻歌を歌い、時々ちょっと踊ったりしながら、楽しいアイロン掛け。
 10月1日にちゃんと衣替えができるのも、素敵だ。


10月2日(土) 母宅へ

猫雑貨屋のショーウィンドウ

 バイト先から電車に揺られ母宅へ。妹くりゃ吉もやってきて酒盛り。
 9月は、私が香港へ、母が中国へ、くりゃ吉が韓国へ、それぞれが旅行にいったので、楽しくお土産交換会やら写真鑑賞会なぞを行う。
 父は来週国内旅行に出掛けるらしい。
 我が家は旅がらす家族か?


10月3日(日) 即決

吉

 起きたら雨が降っていた。
 スロースターターの私は一番最後に起きて、寝ぼけ眼のまま朝食のテーブルについた。朝起きたらご飯が出来ているって素晴らしい。
 うだうだと旅行雑誌をめくっているうちに11月の連休の話になり、そのままどこかに行こう!というところまであっという間に進展。
 雨の中、パンフレットを収集するために、駅前の旅行代理店を3軒もハシゴする。
 日が暮れる頃には、行き先と日程が決まり、おのおのがスケジュール調整に入る事に。
 いくらバイトとはいえ気が引けるので、法事に行く事にでもして休もうかと策略を練る。  来月は中国に行く事になるかもしれぬ。


10月4日(月) 段取り

鼻の真空パック

 バイト先にて早速1日お休みを代ってもらう算段を取り付ける。もくろみ通り旅行に行く事は内緒である。
 これで準備OK。あとの二人の報告を待つのみ。
 このところ、僅かながらの虎の子が、次々に旅費に化けている。
 しかし、行ける時に行っておかないと、この先どうなるか解らないし、考えてみれば母と海外に行くのは初めてだ。
 もはや旅費を出してあげるほどの経済力はないが、母が元気なうちにバンバン行っておいた方がいいことは間違いない。
 今のところ、足腰は母の方がよっぽど丈夫だ。


10月5日(火) ご機嫌悪し

増殖

 今日も副業先のMacの不思議な現象の相手をしているうちに日が暮れてしまった。
 予定では、火曜と金曜はのんびりとお家で家事なぞしているはずであったのだが、トラブルはやってくるのである。
 しかも、そのつもりで今まで散らかし放題にしていたから家の中がとんでもない事に。
 べつに家事をさぼっても迷惑被るのは旦那くらいなものだから、どうしてもお仕事が優先になってしまう。
 そう、散らかり放題になっているからといって、家人以外に困る人なぞいないのだ。
 気にするからストレスになるのだと、自分に言い聞かせ。


10月6日(水) まずは香港

バードガーデンのオウム

 善は急げと話が決まってソッコーで申し込みに行った「旦那と行く、香港2泊3日の旅」の手配が完了したとの連絡が。
 お約束出来ませんと言われていた、便の指定も希望通りで、なんとか考えていたスケジュールがこなせそうだ。
 そうと決まれば、より詳細な旅行日程を練らなくては。
 テーマは「いつもの美味しい旅を旦那にも」なので、行き先はだいたい絞られている。
 問題は、如何にロスせず、いろんな乗り物といろんなルートで楽しく移動し、お腹の好き具合を見計らって効率よくレストランの順番を決めるか…である。
 なんだかんだ言っても、一度に食べられる量には限界がある。
 スケジュール調整をしていると、そのへんがどうしようもないのが辛い。


10月7日(木) 滅多にしない事

異国の魔除け

 副業が一息ついたため本日は休日になった。ウレシイ。
 港のヨーコから、例によってマニアックな香港映画のお誘いが来るが、どう見ても近日中にはスケジュールが合いそうも無い。
 どれもこれもみんなご機嫌の悪い職場のMacちゃんのせいである。
 これからフォント環境を整えなくてはならないので、本を読んだりしてちょっとだけお勉強したりする。
 槍が降ったりしなければ良いのだが…。


10月8日(金) 計画

パイナップルシャーベット

 副業にでかける。そしてまた台風が来ている。
 今年は台風オンパレードだが、ラッキーな事に今のところ旅行とはぶつかっていない。
 香港まであと1週間。
 どうかぶつかりませんようにとひたすら天に祈りながら、スケジュール表を作成。
 なんというか、お腹をすかせるためにあちこち歩き回る“観光は消化を助ける運動”みたいなスケジュールだ。
 食べ物番組のロケじゃあるまいし。


10月9日(土) 隣の屋根が

対風被害

 バイトから帰って掃除機をかけていると、管理人さんから駐車場へ集合命令が。
 行ってみるとそこには、台風でとなりから飛んで来た屋根が散乱しておった。車の出し入れはもはや不可能。
 二つ隣の車は、飛んで来た屋根が外灯を引っ掛け、外灯もろとも倒れて来たため、ぐっちゃり潰れている。
 隣の車の上には飛んで来た屋根がもろに多いかぶさっている。
 でも、何故か私の車は無傷。暗くて見えなかったがおそらくほぼ無傷のはずである。
 やはり日頃の尊い行いがこういう時にモノを言うのだな。
(車高が低かったため隣の車の陰になって、障害物の直撃をまぬがれただけなんだけどね)


10月10日(日) 来た

まる

 旅行会社からやっと香港行きの日程表やら諸々が届く。
 フツーのツアーで旅行するのは3年半前の台北以来久しぶりで、なんだかヘンな感じである。とはいっても足と泊まりだけだが。
 空港に迎えに来てくれるため市街地まで車に乗らねばならない。ぶちゃけ時間のロスである。
 ネームタグやらエアーチケットの引き換え書やらに、必要事項を記入。旦那の分のパスポートや現地通貨や書類も今回はぜ〜んぶ私の担当である。
 こんなに至れり尽くせりの専属添乗員なんだから、せめて旅費ぐらい払ってくれればいいのに…と、ちょっとやさぐれる。
 今作戦唯一の失敗である。


10月11日(月) この際いっとけ

横向きバーバーパパ

 香港行きを目前に、来月の中国旅行も決定。素晴らしい!
 母と妹という組み合わせは、ずいぶん昔に温泉旅行に行ったっきりで久しぶりである。(妹と母はついこの前、スリランカに行ったが…)
 毎月旅行に出掛けられるのは大変嬉しいが、預金残高は順調に減っていて、かなりスリリングである。
 ニャンコ先生がいるうちに台湾にも行きたい。
 オバサンは老後の心配より先に、明日の心配をしなくてはいけないようだ。


10月12日(火) 慌てる乞食

オチャッパ入れ

 土曜日に休みを変わってもらったので今日もバイトにいく。
 目の前に餌がぶら下がっている時は、実に気分よく働けるものである。まさに「明日のために働く」状態。
 浮かれているもんだから、帰りに本屋に寄って、今度は中国本土の旅行ガイドをとっとと買ってくる。
 しかし、行き先である3カ所があまりに離れているため、ガイドブックがそれぞれの地方ごとに別売りになっていることが判明。
 とりあえず、中国全土版のみ入手する。本土は広いやね。


10月13日(水) 添乗前夜?

すみれ

 バイトから帰って、明日の荷造り。また前日になってしまった。
 明朝は早起きしなくてはならないのでいつもより早めに就寝。
 パスポートもエアチケットもお財布も私に預けて、旦那は完全に連れて行ってもらうモードである。
 通じる言葉を話せる人がいない状態で、きちんとスケジュール通りコトが運ぶのか、そのへんが少々心配ではある。
 そして、寝過ごさないかが、さらに心配である。


10月14日(木) 香港1日目

尖沙咀より香港島の夕日

 頑張って早起きして8時に成田へ。一番早い香港行きに登場し、昼過ぎに香港着。迎えの現地係員もすぐに見つかる。他の人達が数人まだ出て来てないというので、駆け付け一杯ということで、ソッコーで留許山にかけこみ、旦那にマンゴージュースを買って来てあげる、優しい添乗員の私。
 現地旅行会社の用意した不必要にでかい観光バスに乗せられ、一般道を通って市街へ。ラッキーな事に一番最初に我々のホテルに向かってくれた。オール自由行動のツアーなため、バスに乗り合わせた人達はみんな宿泊先はバラバラであった。あとは帰国の時まで自由の身である。
 尖沙咀駅の真上のホテルに荷物を置くと、ソッコーでミニバスに乗り込みホンハムはウォンポーのフードコートへ。しかし、中途半端な時間だったため、目指すお店はお休み時間中。仕方が無いので、今度はバスに乗って、先に尖沙咀の星光大道へ。お約束のリンチェイ君手型にタッチ。今年3回目である。幸せ。

星光大道にてお約束

 時間を見計らって、今度はバスに乗りまたウォンポーへ向かうが、予想もしないマンション群のど真ん中に着いてしまい、いきなり迷子に。人に聞いたり通り過ぎるバス停をチェックしたりしながら、30分以上迷って日も暮れた頃、やっとお目当ての担々麺を食べる事ができた。ああ、時間のロス。(:_;)
 フードコートの1Fでお土産にと「老婆餅」を買う。「老婆餅」これいかに??老婆と聞くと「おばあちゃん」という感じだが、ここでは「おかあさん」である。(奥さんは「太太」だ)「老婆餅」=英語表記は「Mather's cake」=さしづめ「お袋の手作り饅頭」といったところか。

尖沙咀より香港島の夜景

 お腹を満たし、またバスに乗り尖沙咀のフェリー埠頭へ。キャセイの特典ブックに着いていたチケットでスターフェリーに乗り、ビクトリア湾の夜景を楽しみつつ、対岸のセントラルへ。そこらかミニバスに乗り換えて、観光客には殆ど無縁の庶民の足ルートで、くねくねと迂回しながらビクトリアピークに登り、お約束の100万ドルの夜景を眺めつつ、夫婦揃ってまったりと一服。
 ピークギャラリアでお土産雑貨をちまちまと買い物したりしたあと、今度はバスに乗って灣子へ出た。ヤマ感で適当に降りてみたが今度はばっちりのタイミングである。
ピークからの夜景  そこから、無理矢理お腹をすかせるために、一混みをかき分け地下鉄一駅半ほど歩いて銅鑼灣へ。いつもの太湖海鮮酒家にて、いつものフカヒレスープとロブスターと白身魚のあんかけチャーハン(金賞受賞さ)を食す。二人だったがなんとか頑張って完食。
上海蟹  初日から食べ過ぎ状態になり、終電間際の地下鉄にてホテルに戻り、テレビを見ながらご就寝。


10月15日(金) 香港2日目

西貢にて

 朝っぱらから西貢へ、地下鉄とバスを乗り継ぎ海鮮を食べに行く。目的のものは茹でエビ。いつもの店にて。その後、西貢を散策。普段のメンバーでは絶対に行かないであろう、ジモティームード炸裂の市場などで、鶏をさばいている様などを横目にうろついてみる。
いつものネコ雑貨の店にいって、先月来た時に撮ったネコちゃんの写真をプレゼントしたら、たいそう喜んで頂き、レジ横の壁に貼って頂いた。勇気を出して渡して良かった。

これはまた別のネコ

 その後、ミニバスと地下鉄に乗り、一気に香港島の方へ移動。行った事の無い上環方面を歩こうかと思っていたが、西貢でまったりしすぎたため、ヒルサイドエスカレーターのみにする。以前途中まで行って辞めたが、本日は一番上まで乗ってみる。下りは徒歩なので、降りて来た頃にはもう、足ががくがくである。一番上まで行っても、特別何かがあるわけではなかった。ただ、登るほどに住宅街の閑静さが上昇していた。
 結局、中環の裏路地をうろうろしては、庶民の逞しさを覗き見たりしてお腹をすかせてから、トラムに乗って銅鑼灣へ。トラムはいつも混んでいる。
 銅鑼灣から少し歩いて蟹チリガーリックの店に行くも、中途半端な時間のため待たしてもお休み時間中。思えばここはいつも深夜に来店していたのであった。しかし、親切なお店のおじさんは、私達のためにお店を開けてくれて、貸し切り状態で蟹をほじる事が出来た。ありがとう!おじさん。しかし、ニャンコ先生がいないと、いつも食べているものですら注文するのが大変であった。

蛇屋の蛇ケースの上でまったりするネコ

 お腹を一杯にして、灣仔からスターフェリーに乗り尖沙咀へもどり、晩ご飯の北京ダックを食うために「北京樓」に予約を入れてから、留許山でだめ押しのデザート。冬季限定メニューでカレーなぞもあってちょっと驚く。食べてみたかったがもう入らないので大人しくデザートのみを食す。
 だめ押し注入もすませ、今度は地下鉄に乗って、香港の秋葉原、深水捗へ。すっかり日も暮れているというのに電脳ビルはオタクで溢れていた。秋葉原という割には電脳ビルのみで、街中が…といった感じではない。旦那が一緒なので初めて行ってみたが、女性のみの旅行ではべつに面白いところではないようである。もうすっかり閉店していたが、駅の反対側の布地街のほうがよほど面白そうであった。ぜひ店が開いている時間に一度来てみたいと思う。お腹をすかせなくてはならないので、殆ど閉店しているにもかかわらず、うろうろと偵察をする。
 先ほどの食事から5時間もたっていないのだが、北京ダックが待っているので、また地下鉄に乗り尖沙咀に戻り、「北京樓」へ。
いつもは金環の本店に行くのだが、また海を渡って香港島に行くのは時間のロスなので今回は尖沙咀支店の方である。支店の割にはこちらの方が落ち着いた感じで店も広く、海なども少し見えて、雰囲気的には本店のようである。
 とりあえず二人なのでダックとデザートのみを注文。待っている間周りのテーブルを眺めたりしていたが、隣の白人男性3人のテーブルに笑っちゃうくらい次から次へと料理が運ばれて来ていて、絶対食べきれないよと思っていたら案の定ダックを含め後半戦で、箸の進みがだいぶ遅くなって来て体制もだんだん仰向けに近くなり、見ていて面白かった。
 控えめな注文にとどめた我々は、結構待たされたおかげもあってなんとか完食。閉店過ぎ一番最後にお店を出る。
 さて、最後は前回行った新スポット「胡同」の上の階にあるBar「アクア」で夜景を眺めながら、一杯引っ掛ける。
 確かにおしゃれで、夜景も綺麗ではあるが、クラブかい!?と思うほど音楽がうるさい。でも踊るスペースは無い。1階下の食事エリアならまだマシだったかもしれないが、深夜のせいか無言でロフトスペースに案内されてしまう(もう、食べられないからいいんだけど…)。ホットスポットだけあって混んでいる。しかし、音楽デカすぎるし、椅子の座り心地もあまり良いとは言えなかったので、本当に一杯引っ掛けただけで店を出る。ぶっちゃけ、酒はどこで飲んでも地酒でもないかぎりだいたい同じなわけで、コじゃれた店はだいたい洋酒やカクテルメインなわけで、店の雰囲気が合わなければそれまでである。そして、おじさんおばさんはもはやわざわざ音楽がうるさすぎる店で酒を飲む根性は無いという事もよくわかった。(好きな音楽なら大音響でも全然よいのだが)
 静かなホテルで胃腸をいたわり就寝。明日はもう帰国である。早い。  


10月16日(土) 香港3日目

麺粥屋の猫

 あっという間に帰る日である。
 一番遅い便にしてもらったとはいえ、昼過ぎにはお迎えが来てしまうので、午前中のみ近場をうろつく。
 隣の佐敦駅まで地下鉄に乗り、適当に麺粥屋に入り香港麺の朝食をとり、毎度おなじみ國裕百貨本店でお買い物。本日は旦那が一緒なので、地下の食料品売り場から。パイナップルケーキやお茶などをゲット。その後民芸品のフロアーにてお茶器をゲット。もう少しゆっくりしていたかったが時間が無いので、他は見ずにホテルに戻りパッキングをする。
 チェックアウトから30分ほど時間があったので、荷物を預けて近くの留許山に行き、亀ゼリーを食い、とりあえず食い納め。
 時間ギリギリに急いでホテルに戻り一服しているとお迎えが来たので、またバスに乗って空港へ。
 機内食がでるにもかかわらず、空港で昼食にまた麺を食い、先月と同じゲートから飛行機に乗って、香港よさようなら。
 ほぼ予定通りのルートで、ほぼ予定通りのものを食べさせてあげる事が出来、へなちょこガイドも無事終了した。
 また来年も1回くらいは香港に行きたいものである。


10月17日(日) お土産?

季節外れのカマキリ、フリーズ状態

 朝、いや、昼、起きたら旦那の風邪がうつっていた。
 二人してゴホゴホと咳き込み、ずるずると鼻を垂らしながら、旅行の後片付けなどを、だらだらとやる。
 欲張って、旅行日程を休み目一杯にしなくて良かった。
 発熱はしていないようなので、あとはSARSではないことを祈るのみである。
 いくら香港が好きでも、そんなお土産はいらない。


10月18日(月) 遊び過ぎ

中国茶用マグカップ

 香港のお土産を持ってバイトに。
 老婆餅は今まで食べた事の無い不思議な味…と、よくも悪くもない微妙な評価を頂く。
 香港みやげをぶら下げて出勤したのはほんの1年足らずの間に四回目である。
 何も悪い事はしていないのだが何となく後ろめたいので、やはり来月の中国は内緒にしておこうと固く決心する。
 ああ、悲しい日本人感覚。


10月19日(火) 食べ納め

ぶたくさ

 居酒屋をやっている友人が、お店を閉めるというので、後輩と一緒に、副業終わりで、雨の中、成増まで遠征する。
 寒くなって来て、そろそろこの店のおでんが食べたいな〜、と思っていたところだったので、タイミング的にはナイスなのだが、これが食べ納めになると思うとなかなか寂しいものである。


10月20日(水) 仕事以外

また留守番かい!?

 また台風が来ているらしい。もう10月も後半だというのにいい加減にしてもらいたいものである。
 どうも、天気が悪いとテンションが下がる。
 ネコの額ほどのやる気が更に薄らいでよろしくない。
 とうぜんお仕事にも気合いなどはいるはずも無く、来月の中国旅行のガイドブックなどを眺めながら、せめてオフの時間ぐらいウキウキする、懲りないオバサンなのであった。
 ああ、楽しみ。


10月21日(木) 奔走

メキシコのキャンドルスタンド

 いろいろと溜っていた雑務を処理するため、地元を奔走する。
 銀行の口座を移したので窓口で話をしたりしていたら、何となく気分で外貨預金の通帳も作ってしまった。できたら香港ドルが良いのだがやはり手数料などが優遇されるのは米ドルなんだなとちょっとがっかりする。果たして使う事があるのだろうか、この通帳。
 そして、台湾のニャンコ先生に雑誌を送りに郵便局へ。郵便物になって自分も送ってもらいたいものだと下らん事を考える。
 その後、通り道だったので気になる外国語を教えているアヤシイ教室を覗きに行く。最寄り駅に手書きのポスターをたまに貼ったりしていて、マレーシア語とかヒンズー語とかマイナーな言語をたくさん教えている、アヤシイ学校は、2階が雀荘というアヤシいビルに入っていた。
 そんなわけでここは珍しく広東語も教えているので覗きに行ったわけだが、韓国語と中国語は昼間の割引クラスがあるのに対し、広東語は…?と訪ねると「今はクラスを作るほど生徒さんがいないので、皆さんプライベートレッスンでやって頂いています」と言われる。さすがに所詮方言なだけあってマイナーである。とりあえず資料だけ貰っておいとま。
 で、眼科に行ってコンタクトを買いスーパーで食材を買い帰宅。
 なんだか『主婦』って感じの一日であった。こんな日が時々しかないのが悲しいが。


10月22日(金) わからないものはわからない

屋外のくせに禁煙かよ

 副業の帰りにレイトショーを。
 例によって「マッスル・モンク」という香港映画である。
 実は、以前香港版のVCDで観ているのだが、音声は広東語、字幕は英語と北京語だった上、話がムツカシいので、解らない所だらけだったので、ちゃんと字幕がついているのを観ようと思ったのであった。
 結局、私の理解は大方あっていたようであったが、日本語字幕で観ても、やはり良く解らない映画だという事が判明。
 でも、主演のアンディ・ラウ、この映画で賞とってるんだよなー。
 香港人からしたら、簡単に理解出来るのだろうか。
 まだまだ知らない事が沢山あるようだ。


10月23日(土) ゆらゆら

Mac

 珍しく一人残業などしていたら、ゆらゆらと大きな地震が。しかも何度も。
 ここのところちょくちょく揺れていたので、動転するようなことはないが、さすがに、天井崩れて来たりしたらシャレにならないと思ってしまった。
 8時過ぎに携帯で電話をしようとしたら「しばらくおまち下さい」との表示が…。もうだいぶ時間が経っているはずなのに、まだ通じない?という事態になって、もしかして、どこかで大災害になっているのでは?と気づいた次第。
 その時までなぜか、震源地は関東近郊だと思い込んでいたのであった。
 そして、職場にテレビどころかラジオすらないという事に、初めて危機感を感じたのであった。


10月24日(日) 悪化

マリーゴールド

 小康状態を保っていた風邪が悪化。
 風邪薬を飲み、一日中寝ていることに。
 休みの日に寝倒すのは毎度のことであるが、さすがに病にふしている状態だと、夕方になっても目が覚めず、「あるある大辞典」も寝ている間に終わっていた。
 それにしても、さすがにオバサンになると風邪が長引いてよろしくない。
 騙し騙し生活していても、もう、治ってくれないようだ。
 オバサンの風邪は騙されてくれないのか?


10月25日(月) 遠慮

本棚

 まだ咳は出るがとりあえず労働。
 帰って来て久々にニュースを見たら、地震の被害がすごいことになっていて、驚く。
 各局全力を挙げて被災地の取材をしているようだが、東京からのこのこやっていって、避難生活に横入り状態なので、場合によっては冷やかしのような感じもしないでもない。
 実家があのあたりの友人がいてどうしているか心配だが、本人ではなく家族の事なので、とりあえずあれこれ聞くのはやめようと連絡するのをやめた。
 非当事者がやることは多分もっと違う事なんだろうな、とおぼろげに考える。


10月26日(火) 備え無し

六味地黄丸

 早朝、慌ただしく旦那がまた地方巡業に出掛ける。新潟にも行くらしいが、いかんせん浮かれた仕事である。こんな時に仕事になるのだろうか。
 被災地は雨までふって大変な事態になっているようである。
 ニュースを見ていると、被災者がたくましく地域ネットワークを駆使して、崩れた道の迂回路などを造っていたり、自分たちで収穫した食料で自給自足したりしていて、妙に感心してしまう。
 都会の人にあんな底力があるのだろうかと思うと、少し危機感を感じた。
 せめて防災リュックぐらいは作っておいた方が良いかもしれない。


10月27日(水) ヤバそうだけど

ぐうたら

 ここのところ、お天気がよろしくない日が続いていて、環境に感化されやすい感受性豊かなオバサンは、どんよりモードがフルスロットル状態。
 寒さと不安に耐えながら避難生活をおくる10万人の人々がいるというのに、これしきの寒さでへこたれてしまう自分が情けないのだが、寒さが天敵の私は日々弱って行くばかり。
 そういえば、またイラクで日本人が拉致されたとか。あれだけ大騒ぎになったというのに、なぜ単なる旅行でこの時季イラクに行くのか?もう、考えている事が解らん。
 こんなことだから平和ボケ日本などと言われてしまうのだ。
 今回は、前回の拉致事件の時のように被害者に同情する気持ちは全くわかず、憤りさえ感じてしまった。


10月28日(木) ゆれる物欲

はな

 待望の「2046」が公開になっているので、例によって香港好きなオバサン同士、鑑賞に行く算段を行う。
 日本ではキムタクがらみの報道ばかりが目につくが、むろん我々はトニー様はじめ、香港明星達を観に行くのである。
 今は亡きレスリーがアンディと共演した「欲望の翼」から、マギーのチャイナドレスが麗しすぎる「花様年華」、そして今回の「2046」と、物語が繋がっているということなので、その辺も楽しみである。
 そして、今、私は「花様年華」のDVDを買おうかどうしようかと、大変迷っているのであった。


10月29日(金) 言葉の壁

バジル

 数日前、台湾のニャンコ先生に荷物を送ろうとDHLに問い合わせメールを出したが、うんともすんとも言ってこない。
 指定のダンボールで送らないといけないのだが、海外に出すとなると、確か中身とか値段とかをいろいろ記入しなくてはならなかったような気がするので、荷造りに時間がかかると思われる。
 きっと英語で書かなくてはならないだろうし…。
 メールは何処にでも瞬時に飛んで行く時代になっても、まだ、モノはそう簡単に国境を越えてはくれない。
 いろいろ揉め事がヒートアップしている昨今、さっさと境目なんか無くなってしまえばいいのにと、自分の都合が悪くなったとたんにそんな事を思ってしまうのであった。


10月30日(土) ようやく

置物

 バイトから帰って、香港お土産プレゼントのページをチマチマと作る。
 やっと結果発表までこぎ着けてやれやれ。
 そうこうしているうちに、次の中国が目前である。
 集合時間が朝早いため、実家組はそうとう早くに家を出なくては間に合わないという事で、前日我が家に宿泊する事に。
 ニャンコ先生の置き土産「エアーベッド」が早くも活躍しそうである。
 成田に近いだけがとりえの我が家が、やっと役に立つ時が来たようで、ちょっと嬉しい。


10月31日(日) 「2046」

テレビを観るちゃび

 午後から、品川へ「2046」を観に行く。
 な〜んか、尻切れトンボな感じであったが、もっと続きが観たい気持ちにもなる妙な映画であった。ストーリーはともかく、映像はとても私好みで楽しめた。万年酔っぱらいのおちゃらけものでもやはりクリストファー・ドイルはスゴいおっさんである。
そしてさらに、3人のスケジュールの都合で初めて行った映画館だったが、全席指定という香港のような映画館で、なかなかめっけものであったのがまた良かった。
 「欲望の翼」と「花様年華」をもう一度観たくなった。